2019年4月の記事一覧
平成31年度離任式
いずみ高校を愛してくれた先生方からの最後の授業は、どれも心も響くものばかりでした。私としては、話をしっかり聞いてほしくて、「心に火をつける教師」についてお話ししましたが、いずみ高生の中から、教職を目指す人が現れると嬉しいですね。
【離任式・校長挨拶】
皆さん、こんにちは。
春は出会いと別れの季節と言いますが、今日は離任式、お世話になった先生方とお別れをする日です。2・3年生の皆さんにとっては、昨年度までにお世話になった先生方ですし、懐かしい顔ぶれに心が弾んでいる人もいるでしょう。
学校というところは、様々な人と人とがめぐり合い、そうした人間関係の中で、生徒が育ち、成長していくところです。そして、その成長の多くは、先生方が導いてくれるものです。学生時代に大事なことは、「何を学んだかということよりも、どうやって学んだかの方が大切である」という言葉がありますが、何を、どのように、誰から学んだのか、突き詰めて考えれば、どの先生に教わったかで、皆さんの人生に少なからず影響があるのだと思います。
イギリスの教育哲学者である、ウィリアム・アーサー・ウォードは「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。優れた教師は自らやってみせる。そして、偉大な教師は心に火をつける」と言いました。ある先生との出会いが、その生徒の心に火をつけ、夢の実現につながっていったというのはよく聞く話です。いずみ高校の先生方も、日常の授業、実験実習はもちろん、部活動などの課外活動など、皆さんの心に火をつけるべく、日夜頑張っているということは知っていますよね。当たり前のように感じているかもしれませんが、先生方の熱意や情熱にぜひ気づいてください。
皆さんもやがて実社会に出ると気づくことになりますが、社会人として独り立ちをすると、そこにはもう「教師」という存在はありません。もちろん、社会人として素晴らしい人物に出会うことはあります。「師」と仰ぎたくなるような方であっても、皆さんを導いてくれるわけではありません。そう意味での「教師」はそこにはいないのです。大人になるということはそうことなのかもしれませんね。そして、その大人の心に火をつけるのは「自分自身」しかいなくなります。先生たちは、この心に火をつけるということを、職業としてやっているのです。
最近では、教員の長時間労働のことが取り沙汰されたり、ブラックな仕事であるなどと揶揄されたりしていますが、子供たちの成長を支援し、その変容ぶりを間近でみることができる教職という仕事はとてもやり甲斐を感じる職業だとは思いませんか。いずみ高生の中から、教職を目指してくれる人が出てくれることを期待しています。今年度も皆さんの先輩が教育実習にやってきますが、ぜひそんな一人になってください。待っています。
さて、本題に戻ります。
本日は、このいずみ高校で、いろいろな教育活動にご尽力され、多くの生徒を指導し、その成長を導いてくださった先生方に、最後の授業をしていただきます。お世話になったという感謝の心をもって、最後までしっかりと聞いてください。もしかすると、この最後の授業でも、皆さんの心に新たな火がつくかもしれません。
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広報と広聴活動に力を入れている本校では、ホームページを通じた皆様とのコミュニケーションを大切にしたいと考えています。お手数ですが、この記事を見て「いずみ高校の学びがわかった!」と思った方は、下の「投票する」ボタンを押してください。よろしくお願いします。
That's いずみ高校!①「環境建設科のアスファルト実習」」
環境建設科のアスファルト実習
今年で5年目となる環境建設科のアスファルト施工実習です。本校OB・OGも活躍している「中原建設株式会社」様の全面的な協力により、今年も本物のアスファルト舗装工事が実現しました。埼玉県の「次代を担う産業人材育成イノベーション事業」の一環で、建設会社さんとコラボレーションさせていただいています。
生憎の小雨模様の中での実習となりましたが、今年度の3年6組の生徒32名は、実習服にヘルメット、安全靴といういで立ちで管理棟北側の自転車置き場入口のスペースをアスファルトで舗装していきました。
中原建設さんには、毎年のことながら、本校の実習のためにスケジュール調整をしていただき、多くの社員の方にいずみ高校まで来ていただき、本当に感謝です。中原建設株式会社さんは、平成29年度の埼玉県キャリア教育実践アワードの「奨励賞」を受賞しています。
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1学年校外行事(伊香保グリーン牧場)③
あいにくの雨模様の中での校外行事でしたが、クラスの親睦を図ることやファーム体験等、当初の目的は達成できました。元気にバスから降りてきた生徒たちの表情はみな楽しそうでした。この後、彼らは教室で制服に着替えて、自宅への帰途に着きます。
1学年校外行事(伊香保グリーン牧場)②
生徒たちは本日の校外行事のメインイベントである飯盒炊爨に取り組んでいます。そして、定番のカレーが出来上がったようです。飯盒で炊いた白米に盛り付けられた「カレーライス」の写真が現地より送られてきました。美味しそうですね。
1学年校外行事(伊香保グリーン牧場)①
どんよりとした曇り空ですが、雨に見舞われるわけでもなく、現地(伊香保グリーン牧場/群馬県渋川市)で予定されている牧場での体験活動や飯盒炊爨などが無事に計画どおり行えることを祈っています。
朝から校地内にバスが7台も集まりした。この1学年の校外行事のために大型観光バスが6台、さらには2年3組(生物化学資源科)の共同実験実習のためのバスが1台です。
1学年のバスが現地に到着したようです。
4月16日は開校記念日(休業日)
当時の与野農工高校は、園芸科、食品化学科、土木科を有する専門高校で、男子のみの別学校でした。昭和39年(前回の東京五輪の開催年<1964年>)には「湧きて流れる泉の丘に♬」で知られる校歌が制定されました。作詞者はボブ・デュランの「風に吹かれて(原題 Blowin' in the Wind)」の邦訳者として知られる野上彰氏、作曲者は日本人の魂を西洋音楽の技法で訴える「和魂洋才」で知られる髙田三郎氏で、とても美しいメロディが自慢の校歌です。「県立浦和第一女子高校」の校歌もこのお二人の作品です。
本日のいずみ高校は開校記念日のための休業日であり、授業を行わず、部活動を除き、登校する生徒はほとんどいません。
教職員も休暇を取るなどして、ゆったりとした時間が流れています。
朝勉強会の様子①
4月12日追記: 今日の「心に火をつける言葉」
H31年度入学式(校長式辞等)
午後からは生憎の雨模様でしたが、体育館では新たな希望に胸を膨らませた新入生とその保護者の皆様をお迎えし、入学式を挙行しました。
239名の新入生の皆さん、ようこそ「いずみ高校へ!」
保護者の皆様もこれから私たち教職員とともに同じ方向を向いて、子供たちの成長を期して頑張っていきましょう。本校のホームページは平均で週に2~3回ほど記事が更新されています。私のこの「校長's log」もできるだけこまめに更新したいと思っています。ご家庭でお子さんとの共通の話題として、このホームページを是非ご活用ください。そして、年に2~3回は学校に足を運んでいただけたら幸いです。学校の様子は実際にその目と耳で直接見聞していただくのが一番です。
【校長式辞】
春和景明の今日の佳き日、学校評議員 荒尾 俊之 様、PTA会長 矢埜 幸子 様 をはじめ、御来賓の皆様方、並びに保護者の皆様の御臨席を賜り、かくも盛大に「平成三十一年度 埼玉県立いずみ高等学校 入学式」を挙行できますことは、本校関係者にとりまして、大きな喜びでございます。御臨席をいただきました皆様に、厚く御礼申し上げます。
ただ今、入学を許可いたしました、いずみ高校第二十一期生、二百三十九名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんの入学を心から歓迎いたします。また、保護者の皆様方におかれましても、お子様の御入学、誠におめでとうございます。教職員一同、心からお慶びを申し上げます。
本校は、与野農工高等学校をその前身とするも、平成十一年に改組され、全国初となる「生物・環境系総合高校」に生まれ変わりました。東京ドームのおよそ一・五倍を誇る校地は、農業技術者の養成機関として、戦前から戦後にかけてこの地に存在した「農民講道館」から譲り受けたものです。
いずみという名は、「湧きて流れる泉の丘に」と歌い継がれてきた校歌の一節に由来しますが、この地が荒川水系の湧水帯に位置しており、かつて豊富な地下水が湧き出る「泉」が数多く点在していたことを、ボブ・デュランの「風に吹かれて」の邦訳者として知られる、野上彰氏が本校のために作詞したものです。
こうした長い歴史と伝統を受け継ぎ、本校は「いずみプライド」を築いてまいりました。
さて、「不易を知らざれば基(もと)立がたく、流行を辨(わきま)へざれば風新にならず」これは俳人・松尾芭蕉の言葉です。不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、時代の変化を知らなければ新たな進展がない、という意味ですが、この「不易と流行」について、和菓子の老舗とらやは「伝統とは革新の連続である」と捉えているそうです。とらやは、和菓子メーカーとしての考えはブレずとも、時代の変化に合わせて革新し、お客様に選ばれる努力をして来なければ、五百年もの間、暖簾を守り続けることは出来なかったといいます。このように、伝統とは、革新(イノベーション)とともにあります。二十一年目を迎えるいずみ高校も、昭和、平成の時代を経て、令和の時代においてなお、大切な伝統を守りつつも、イノベーションを起こしていける、そんな学校でありたいと思っています。
そうした「伝統とイノベーション」の中で学びをスタートされる新入生の皆さんに、ぜひとも心掛けてほしいことを二つほどお話させていただきます。
一つは「大きな夢や志を抱いてほしい」ということです。
皆さんの夢や大きな志は何でしょうか。これからの高校生活を、なりたい自分を実現するための三年間と捉え、自分の夢や志の「種」を探し、育て、咲かせてほしいのです。まずは、自分の得意分野や、夢中になれるものを探してください。それこそが夢や志の「種」です。種が見つかったら、次はその種を「育てる」ことに努力してほしい。ただ与えられるだけ、覚えるだけの学びではなく、自ら考え、課題解決を図る、深くて主体的な学びを進めてください。先行き不透明な時代だからこそ、自ら考え行動できる力、イノベーションを起こす力が必要です。そして最後は、自身で育てた夢の種を「咲かせる」段階です。高校生活で得た様々な経験や知恵を生かし、それぞれの夢や志の実現に向けて、最後まで努力を続けてください。皆さんには、様々なことにチャレンジできる意欲と好奇心の溢れる人であってほしい。夢や志の種をしっかり育て、咲かせることで、皆さんの前に道は拓かれていきます。
札幌農学校(現在の北海道大学農学部)に初代教頭として赴任したクラーク博士は、学生たちと別れる際、こう言いました、「Boys be ambitious !(少年よ大志を抱け!)」と。しかし、これには続きがあるとも言われています。その言葉を皆さんに贈ります。
「少年よ大志を抱け、お金のためではなく、自分のためでもなく、名声という空虚な志のためでもなく、人はいかにあるべきか、その道をまっとうするために、大志を抱くのだ。」
もう一つは、「昨日の自分を超えるための努力をしてほしい」ということです。
人として生きるということは、実はとても大変なことです。夢や目標があっても、他人と比較して思い悩んだり、世の中の考え方に流されて、知らぬ間に自分本来の夢や志とは違う方向に進んでしまうこともあるかもしれません。人は皆、自分にとっての最適解を求めて、ドラゴンクエストならぬ「自分クエスト」の旅をしているのだと私は思っています。旅の途中、アイテムを集め、手にしたマップを歩き、行く手を阻むダンジョンをクリアするなど、経験値を高めながらゴールを目指していきます。このクエストは他の誰かと競っているわけではなく、自分で決めた高みやゴールを目指し、己の限界に挑戦していくものです。今の自分は昨日までの自分の積み重ねであると認識したうえで、昨日の自分ができなかったことを今日の努力によって乗り越えていく、つまり「昨日の自分を超えていく」ことを実践していくのです。決して諦めず、投げ出さずにその努力を続けていけば、不可能と思えたこともやがて可能となっていきます。
日米それぞれのプロ野球界で長年活躍した、シアトルマリナーズのイチロー選手が先月現役を引退しました。彼は記者会見の中で、数々の記録を打ち立てた二十八年間の野球人生を振り返り、次のように述べています。
「秤(はかり)はあくまで自分の中にある。それをちょっと超えてゆく。その積み重ねでしか自分を超えていけない。」
このいずみ高校で、大きな夢(大志)を持ち、将来に向けて自己を磨き、常に昨日の自分を超えていくように努力してください。そのためにも、一緒に苦楽をともにできる「一生の友」を見つけ、諦めず、粘り強く挑戦する気持ちを忘れずに、様々なことに積極的に取り組んでほしいと思います。
そんな皆さんの頑張りを本校の教職員は全力でサポートします。どうぞ、このいずみ高校での高校生活を思い切り楽しんでください。
保護者の皆様におかれましては、重ねてお子様の御入学をお慶び申し上げます。
本日、大切なお子様をお預かりいたしました。私たち教職員は、お子様方の力をしっかり伸ばし、三年後にはお子様が心身ともに大きく成長した姿で、いずみ高校を巣立ってくれるよう、全力を尽くしてまいります。
どうか、御家庭におかれましても、本校の教育に御理解と御協力をいただくとともに、お子様の基本的生活習慣や家庭学習の御指導などに、格別の御協力をお願い申し上げます。
結びに、御来賓の皆様、並びに御列席の皆様の益々の御健勝、御発展を御祈念申し上げるとともに、今後とも変わらぬ御指導と御鞭撻をお願い申し上げ、式辞といたします。
平成三十一年四月八日
埼玉県立いずみ高等学校長 栗藤 義明
H31年度着任式・始業式(校長講話)
春は出会いと別れの季節と言いますが、この春の定期人事異動で、12名の先生方が新たに着任し、9名の先生方とお別れすることとなりました。新生チーム「いずみ」で今年度も頑張ります。どうぞよろしくお願いします。
また、始業式後の生徒指導・進路指導・教務部それぞれから話がありましたが、今年度は3人の主任のうち、2人の先生が新たに主任になりました。生徒指導主任に生物生産科の中村先生、進路指導主事に生物サイエンス科の星川先生のお二人です。どうぞよろしくお願いします。
【始業式・校長講話】
皆さん、おはようございます。
いい新学期を迎えていますか。皆さんは、今日から一つずつ学年が上がって、新しい生活がスタートしました。
新しい環境で、新たな目標を掲げ、今、頑張ろうという気持ちで胸を膨らませているのではないでしょうか。膨らませているその気持ちを大切にそして忘れることなく、頑張っていきましょう。3年生は、いずみ高校をリードする最高学年として、高校生活の総仕上げの1年となります。専門分野の学習を深め、資格を取得し、進学や就職に全力投球するのはもちろんのこと、部活動や生徒会活動等にその持てる力を出し切って、悔いのない高校生活を送ってくれることを期待します。
2年生は、学校の中心的存在として、一人一人がいずみ高校を支えているという自覚を持ち、3年生の先輩たちとともに、本校の伝統をつないでほしいと思います。
伝統と言えば、わが国の伝統芸能である歌舞伎の世界に、第18代中村勘三郎さんという方がいました。 6年ほど前に55歳で早逝した、名優と言われた歌舞伎役者さんでした。 NHKの大河ドラマ「いだてん」で金栗四三役を演じている中村勘九郎さんのお父様に当たります。
その勘三郎が、息子と同じ、中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃、伝統的な歌舞伎に流行りの演出を加えたいと、父親である先代の勘三郎(第17代中村勘九郎)に直訴したことがあるのだそうです。 すると「何言ってやがるんだ。お前には百年早い。そんなことを考えている間に百ぺん稽古しやがれ!」と言われてしまいました。 当時の勘三郎には、父親がものすごい剣幕で怒ったことが理解できなかったそうですが、少し後になって、父の教えは正しかったことに気づいたそうです。
日本の武道や芸術の世界には「守・破・離」という考え方があります。 もとは千利休が説いた茶道の規矩(きく)作法にあり、「守り尽して破るとも、離るるとても本(もと)を忘るな」と道歌にも歌われています。 言ってみれば、我が国に伝わるプロフェッショナル論であり、ある道を究めるのに歩むべき三つのステップのことだとされるものです。
この守・破・離で、いずみ高校で学ぶ皆さんを表現すると次のようになります。
まずは「守」です。
無意識にできるようになるまで基本を徹底的に習得する。 基礎基本の域の段階です。真似る段階でもあります。 日本語の学ぶは「真似る」が語源です。 先生方や先輩方から型を習い、教えられたことを守りながら、その流儀に励む時代になります。原理や仕組みはわからなくても、しっかり体に覚えさせるとわけです。
弓道に「紅(くれない)の一入(ひとしお)ごとに色勝る、昨日の我に今日は勝れり」という教えがあります。 一入ごととは一塗りごとという意味で、 「紅で染めた鮮やかな赤色は、その赤色を重ね塗ることによって深みを増していく。はじめは清楚な赤色であったものが、何回も何回も塗重ねることによって、高貴な紫に近い、紅の色に染まっていく」というものです。 一塗りごとの違いは分からなくても、稽古を重ねることによって確実に色はその深みと美しさを増していくのです。
ところが、この段階で型やフォームを身に着けてもすぐにはその効果が現れないことがあり、我慢の続かない人は、効果が出ないことに苛立ち、短気を起こして、辞めてしまう人も出てきます。 ここは我慢するしかありません。 プロといえども皆「守」の段階からスタートしているのです。
次は「破」です。
基本をしっかりマスターしたうえで、その基本をうち破り、転用できる 応用の域の段階です。 考える段階でもあり、自分ならこうするという思いで型にアレンジを加えていく時代となります。 「型破り」という言葉もありますが、中村勘三郎のような非凡な歌舞伎役者ならいざ知らず、私を含め、凡人が行えば、それは常識的な型や方法から外れたものという、ネガティブな意味にしかなりません。型ができていないのに「型破り」とはナンセンスです。 ですから、向こう見ずにも、型も習得していないのに破ろうとする行為は「形無し」と言われるのです。 本当の意味で「型」を破ろうとするなら、「守」の原点に立ち返ることが必要です。
日本語とは面白いもので、それを促す呪文のような言葉があります。 私にとっては「そもそも」という言葉がそれです。様々なことがらに「そもそも」をつけて考えてみると原点を再確認することができます。
そもそも勉強するのは何のためか? そもそも大地に命を育むというのはどういうことか? そもそもモノづくりとは何であるか? というようにです。
最後は「離」です。
型や枠を離れて自分なりの境地を見出すようになる。創造の域の段階です。
ものごとから卒業し、独自の世界を創造して、独り立ちしていく時代です。 いずみ高校を巣立つ姿と考えてもよいのですが、実際にはもっと道のりは長いものです。 自己の研究や修練を集大成し、独自の境地を拓いて一流を編み出すことです。 真のプロフェッショナルになることだと言っていいでしょう。完全に基礎基本の型から離れ、その人のオリジナルを確立する段階となり、個性が光る状態になります。
「離」の境地に達するまでは、相当な努力と時間が必要です。 世の中の多くのプロは「離」を目指して、日々努力を重ねていますが、その道のりは、死ぬまで続くものかもしれません。 永遠の未完、これこそが高みを求め続けるプロの姿です。 ただし、そうしたプロたちも、みな口をそろえて「やはり基本を忘れてはならない」と力説しています。
私たちはついつい「聞いている」「読んで知っている」「見たのでわかっている」だけで、会得したと誤解してしまうことがあります。 話を聞いただけで、「守」の段階をクリアした気分になり、次の段階に行けると誤解してしまうのです。
水泳を例にすれば、実際に泳ぎもせず、事前に水泳の教則本を読み、テクニックを聞き、マニュアルやビデオを見たり、実際に泳ぐ人を観察しただけで、はたして泳ぐようになれるでしょうか。 水泳を会得するには、無意識にできるようになるまで、水の中で繰り返し繰り返し練習する必要があるのです。 基本の存在さえ知らず、あるいは知っていたとしても、その基本を無視して自分の思いや感性だけで取り組むのが型破りな個性だと勘違いしている人がいます。 まさに「形無し」のオンパレードです。 「型にはめる」のは没個性で主体性に欠ける、と言う人がいますが、実は違います。 応用や発展のベースは基本なのです。 まずは一度型にはめ、基礎基本をしっかり覚えることで、次の段階に到達できるようなり、やがて独自の手法を生み出せるようになるのです。 これは、一見回り道のようで、実は個性や主体性を出すことの近道なのです。
そして、これは学校の学びも同じプロセスであることに気付いてほしい。 主体的で対話的で深い学びも、まずはベースとなる知識・スキルが必要です。 この「守」の上に、深い学びにつなげるための、これまでの枠を打ち破った「破」に相当する新たな学びが展開されているのです。
さて、皆さん自身は、今、どの段階にありますか。 「守」ですか。「破」ですか。 自分の目標、すなわち高みを目指し、努力を重ね、いつかプロとしての境地に到達できるよう頑張ってほしいものです。
そのためにも、まずは「時を守り・場を清め、礼を尽くす」からです。
私の話は以上です。